Eigamuroのブログ

映画は映画館で観たい。なんで? &映画や旅等に関する雑学ノート

僕が旅に出ていくわけは

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確か、陽水の『心もよう』の、前の歌詞は
♪♪遠くの~町の駅にぃ 下りると~~の後に、
♪♪僕らが旅に出てゆくわけは 生きてることを感じるためさ
だった気がする。不確か。

『心もよう』という題は、当時のプロデューサーだった多賀英典命名、だった。と記憶。
なかなかい~~ネーミングだと思う。
もちろん!『心もよう』の歌詞もすばらしい。


さて。
僕が旅へ出て行くわけは・・…
旅へ出ることが可能だったから。(*^_^*)
時間とお金が。
そして。 両親がまだ生きていて帰ってこれる家があったし。
それから。まだまだ体が丈夫で元気があって歳のことなんかまったく気にしないでいられた。

僕の海外旅行は、休暇で(ちょっと)行ってくるというようなものじゃなかった。
だいたい、一ヵ月以上、長くて三ヵ月以上、。 それは、仕事を辞めて貯まったお金で行ったから。それで、文無しで帰ってきた。両親がいる実家がまだあったから。
僕にとって、旅、じたいがそういうものだったし、海外は遥か遠くの異郷の地だった。
はるか昔、東京でさえそうだったのだ。
若さゆえ世界が狭かったということよりも、 今から思えば、現実感が欠如していた、というか、ただ逃げていただけと思える。?
正常な成長発達してる人たちは、当然のように、海外も外人も女性も……現実として理解できているものなのだろうか?
そもそも、現実感てなんだろう?
ともかく。外国は異界だった。
自分の日常から脱して、それ以外の時空間に浸らなければ、意味はなかった。
山がそうだった。
山へ登っていくのは非日常世界へ向うことだった。
映画館の中に入り映画の世界に浸ることも。
自分が肯定できなかったから、現実逃避ばかりで、けれど逃避していってもそれは非日常なのだから一時的でしかなく、また自分の嫌いな日常に戻ってしまい、、その繰り返し・・

初めての海外旅行は1982年、26歳の時で、インド&ネパール、約3ヶ月弱。
その次に1986年、フランス(パリ)&スペインで、2ヶ月程。
その次は1991年、初渡米&カナダへ、3ヶ月チョット。
ついで、1992年09/22に再渡米、この時は1993年の元旦をカナダのモントリオールで過ごして02/09に帰国。

その後2000年まで海外旅行なしで。
1997年春に父が亡くなって、2000年にオーストラリア(タスマニア島)へ。この時は自営で宅配仕事してたけれど、なんとか十日間程長期休暇をとって(自分の宅配仕事を代わりにやってくれる人を探して)行った。
そして2002年に実家(家土地)を失くして。
2001年と2006年に渡米。
2001年の渡米の時はチョット長くいられて、レンタカーでナバホ居留地一周(フラッグスタッフ~Big Mt ~Canyon de celly~Monument valley ~FS)したりデニスバンクスさんの家へ行ったり。
2006年の時は・・私物は居候させてもらってた方や友人の家に置かせてもらってた。
2009年の11月に群馬県の田舎に格安の家を借りることができて、そこに私物をみんなまとめられた。。
それまで、旅、というか住所・居住地は何度も変わっている。車中暮らし生活をしたこともあった。
そういった意味では、僕の人生じたい旅だったかも。
今は‥‥………
借り家があり私物が増えてしまっていて、、一人もんだけど、なかなか自由がきかなくなっている。と思う。 逆にいえば、よくもまぁこれまで転々としてきたもぉんだ)^o^(てなとこでして、。

2006年以後。
その後も海外へ出ることがあったけれど、それは、かつての私にとっての(外国)旅ではなくて、用あり移動の様になっていると思う。外国へ行くことが。。!
これはチョット残念な気持ち。外国への旅行に新鮮味が薄れてしまっている様だ。
今のところ、国内旅行で飛行機に乗ったことはないが、飛行機に乗ることも、かつてはとても新鮮なことだったのだが。

さて。
これからは。・・?

やっぱり、何ヵ月もの様な、かつての海外旅行はもうできなくなっている、気がする。┐('~`;)┌