Eigamuroのブログ

映画は映画館で観たい。なんで? &映画や旅等に関する雑学ノート

服部ぶんしょうで考えた

サバイバル登山家なる者がいる。
服部文祥という。

彼はどうして都会で暮らしているのだろか? と思った。
猟師になるとか山仕事に就くとかで田舎に住んだらよさそなもんなのに。

彼は若い頃、ヒマラヤ登山もしたことある登山家だったという。確かK2だったか?
なのに、プロの山岳ガイドになるでなく海外のより険しい山々へいくでもなく、日本の山、森林山地の、道なき道をいくサバイバル登山をするようになった。
なぜだろう?

・・・
元来、登山は非日常のものだった。
ふだん街場人里で暮らし働く日常生活を過ごしているものが、休みの日に余暇で山へ登りに行く。。
日本においては、修業だったりして、森林限界以上の高みへわざわざ登っていくような行為はおよそなかったのではないか。
であるからこそ、登山家は、より非日常的な時空間へ進んでいくのだ。
死の間際へ近づくことで生きている実感を得るために、と言えるかもしれない。
登山でなくても、旅行。 私は、どうして旅へでたくなるのだろう? それも、より外国へ。
たとえば、外国への移動を日常・職業としている人でさえ、休日には旅をするだろう。

いや。
服部文祥のことだった。
彼のしているような登山?は、日常の範囲にしている人がやっていることではないのか? それは、非日常であるべき登山とはいえないのではないのか?(彼にとっては非日常かもしれないが) 。猟師になればいいだけのことなんじゃないか?と。 あるいは、山ん中に住めばいいだけのことなんじゃないのか?と、思えてしまう。
いや。
日常になってしまわないように、であるからこそ、わざわざ都会に住んでいるのかもしれない。
あくまでも、街中に暮らして、そこから出掛けていくからこそ、いいのかもしれない。

人混みが嫌いな 私は、、都会に住みたいとは思わないけど。


#服部文祥