Eigamuroのブログ

映画は映画館で観たい。なんで? &映画や旅等に関する雑学ノート

アルゴピクチャーズ、から

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%BA

その、6人のプロデューサー。

多賀英典については書いた。
私が注目したい(と思う)プロデューサー、以下三人。(勿論その他の方々も興味あるけれど)

宮坂進。
ディレクターズカンパニーの社長。
その前は博報堂の営業マンだった。(デレカンのウイキに書いてあった)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%8B%E3%83%BC
デイレカンについて、詳しくはウイキを見てもらうとして。
1982~1992までの約10年間の活動で終わってしまった。
アルゴピクチャーズの製作配給の映画を、ざっと見た(デイレカン倒産の1992年前後のものだけ)だけだけど、そこに宮坂進の名前は見当たらなかった。デイレカンの遺産?は、その倒産で跡形も無く霧散した、模様。
勿論、一番見て見たかった(撮りたかったはずの)長谷川和彦監督映画は、ついに観られず、のままだ。

岡田裕。
この人については、石原プロに関わっていたくらいにしか、判らない。
けれども、今も存続はしている(と思われる)アルゴピクチャーズの社長、になっている。

そうして、佐々木史朗
この人は、要チェックだ。
1959年に早稲田大学中退後、鈴木忠志別役実らと早稲田小劇場設立に関わってから、TBSテレビ演出部に勤務。その後、1970年東京ビデオセンター設立。
そうして、東京ビデオセンター設立7周年記念事業として映画製作(橋浦方人監督の『星空のマリオネット』)。1978年。ここに至って、初めて映画製作に関わった、という方。
翌1979年、ATGの二代め社長を兼務。
そうして、映画製作者としての手腕を発揮していった。
→→ATGについて、この後に書くつもり。