Eigamuroのブログ

映画は映画館で観たい。なんで? &映画や旅等に関する雑学ノート

ロジャーコーマン

ロジャーコーマン。・・!

ジャックニコルソンに関して調べていたところからだった気がする。
カッコーの巣の上で』が好きだったし、『シャイニング』の、あの顔が忘れられないし、だったりして。
それから、『イージーライダー』をみて、ここに出てたジャックニコルソンも若かったけど、もっと若いニコルソンが出ている映画、ってぇことで、『リトルショップオブホラーズ』を知って、見て、そうして、ロジャーコーマンを知った、と思う。

1926.4.5.ミシガン州デトロイト出身。
「低予算映画の王者」。
高校生時、ハリウッドへ移住、スタンフォード大学で経営工学の学位をとった後、1953年からプロデューサー・脚本家としてキャリアをスタート。 1955年からは監督も。1971年に監督を引退(その後もプロデューサーは続けている)まで、300を越える映画をプロデュースし、その内50は自分で監督した。 】
以下、略。詳しい事柄はウィキペディアをみてもらうとして。

この人の名前、私は記憶しなかったのだけど、なかなか興味深い。 ことに、怪奇・怪獣・SFものB級・カルト映画ファンにとっては、神様みたいな?人だろう。
『リトルショップ・オブ・ホラーズ』(60)『アッシャー家の惨劇』(60)『恐怖の振子』(61)『姦婦の生き埋葬』(62)
『忍者と悪女』(63。J・ニコルソンが監督のはず。?J・ニコルソンで検索した際出てた。)
X線の眼をもつ男』(63)『黒猫の棲む館』(64)『残酷女刑務所』(71)『デス・レース2000』(75) などなど。
【『戦慄!プルトニウム人間』『巨人獣』『吸血原子蜘蛛』など、巨大生物ものは、まだ顕在化していなかったアトミック・ソルジャーの存在を予見していたと評価する向きもある。】
このタイトルみただけでも、なんかワクワクするよなわかるよな、映画がほとんど、みたい。
【最も1990年代以降は、彼のお家芸だったB級・カルトものを、大金を投じて製作するようになったハリウッドやテレビ業界に押されて、彼の居場所は喪失しつつある】そうだ。

ロジャー・コーマン、功罪ありしも、(日本のアニメに早くから注目していて「銀河鉄道999」「風の谷のナウシカ」などを配給したが、吹き替え版製作にあたりキャラクター名やストーリーの改変をした、など。これは、作家性よりも観客の嗜好に極力迎合するコーマンの一貫したポリシー、とみるむきもあり。) 、何より僕が注目したいのは、彼のもとからその後有名になっていった多数の監督や俳優がでていることだ。
J・キャメロン、J・セイルズ、J・ミリアス、P・ボグダノウ゛ィッチ、ジョナサン・デミロン・ハワードデニス・ホッパージャック・ニコルソン、P・フォンダ、R・デニーロ、やマーティン・スコシッセやコッポラの名もあった。
すごい!
最も、これとて、まぁ結果論。?)^o^(
【組合に加入しているスタッフや俳優は、低予算映画で使うには賃金や労働条件の面で割にあわないことから、ロジャー・コーマンは、大学を出たばかりのまだ無名の若者たちを頻繁に起用した。これは、映画への情熱に燃える若者を次々と使い捨てることでもあったが、結果的にこうした若者たちのキャリアのスタートを後押しし、修練の場ともなった。】
そして、ここでも
【1990年代以降、ハリウッドやテレビ業界が俳優や監督志望の若者を、積極的に起用するようになり、コーマンのスタッフからスターは出ないようになった。】

そうして。
村上龍の監督映画について書いた際、最後の『KYOKO』の製作総指揮者にロジャーコーマンの名前を見て。。!?、驚いたことあった。

80歳を越えているロジャー・コーマン、確かにひとつの時代を築いた人であることはまちがいないだろう。

ジェリーブラッカイマーと

 ジェリー・ブラッカイマー、 &ドン・シンプソン。

ジェリー・ブラッカイマーの方を重点に記す。

ジェリー・ブラッカイマー
1945.9.21~ ミシガン州デトロイト出身。 アリゾナ大卒後、NYシティの広告代理店でCM制作、コマーシャル・フィルム監督としてのキャリアを積んで、ロスへ移りパラマウント映画会社でドン・シンプソンのもとで映画製作に携わる。
アメリカン・ジゴロ』('80)で最初にシンプソンと出会い、 以後、シンプソンとともに、『フラッシュ・ダンス』('83)『ビバリーヒルズ・コップ』('84)『トップ・ガン』('86)などのヒット作品を製作
1991年、シンプソンともにディズニーへ移り、
ザ・ロック』('96)
1996年、ドラッグ中毒のひどかったシンプソンと絶縁、直後、一月シンプソンが急死。
ザ・ロック』の最後に【シンプソンの思い出に捧ぐ】とクレジットされた。

1990年代前半は、二人ともまったく映画を作っていない。
ザ・ロック』以後、
ブラッカイマーは、ディズニー傘下のタッチストーン・ピクチャーズを主たる活動の場とし、
コン・エアー』('97)『アルマゲドン』('98)『60セカンズ』(2000)『パールハーバー』('01)『9デイズ』('02)『パイレーツ・オブ・アリビアン/呪われた海賊』('03)『ナショナル・トレジャー』('04) 『デ・ジャウ゛』('06) と、次々と発表。

ブラッカイマー製作映画の特徴として、どの監督映画にも、太陽光線や自動車のヘッドライトが渋く光るシーンがある。 ――そうだ。
タッチストーン・ピクチャーズ の(ロゴマークというか・・動くロゴ?)それは、太い横棒が画面右側から伸びてきて左で止まり、〔Touchstone Picturers〕。
ジェリー・ブラッカイマー・プレゼンツのそれは、おそらくアメリカ大陸中西部の大平原、真っすぐに伸びる道路を走りゆくと、右側に一本の枯れ木、そこに稲光が落ちる、、。
ブラッカイマーはアリゾナ大卒だった。
今度から、この動くロゴマーク?とともに、渋く光るシーンにきをつけてみよぉ!

ちなみに、ドン・シンプソンは、1943.10.29.ワシントン州シアトル出身、アラスカ州アンカレッジ育ぢオレゴン大卒。
ワーナー・ブラザーズからパラマウント映画へ。


『9デイズ』(’02)
原題は『BAD CANPANY』
ジェリー・ブラッカイマー製作
ジョエル・シュマッカー監督。
アンソニー・ホプキンスクリス・ロック、主演。
これは、おもしろかった。
テンポがいい。 編集の凄さか?
ホプキンス、CIAのベテラン・エージェントにしてはちと太ってる感じしなくもないが・・(^-^) クリス・ロックがまた、いぃ~~~~んだなぁ!! ラストシーンもグー~~~!
アタッシェ・ケースに入った小型核爆弾を奪い取ろうとするテロリストたち。 ラストの方で、そのテロリストの一人がCIAのホプキンらに云う台詞が、決まってる。
【世界の飢えをよそにお前らは肥え太り………他人の戦いに口を出し知った顔して指図を下す。お前らは神か?】

ジョエルシルバーと

ローレンス・ゴードン

ジョエル・シルバー(1952年、ニュージャージー州生まれ。)、というと、なかなかの名物プロデューサーらしい。
ラフな服装や大声の早口で喋る(そして癇癪もち?)態度は、多くの映画会社幹部を怒らせてきた、そうだ。
が、ともかくも、
ニューヨーク大卒後、ローレンス・ゴードン・ピクチャーズに入社し、 ゴードンの下、アクション娯楽映画作品の製作を続け、
1985年にシルバー・ピクチャー設立、今日まで映画を作り続けてきているのだから、たいしたもんである。
『リーサルウェポン』『ダイハード』『マトリックス』のシリーズものや、最近では『ブレイブワン』('07.ニール・ジョーダン監督、ジョディ・フォスター主演)、そして『スピードレーサー』('08.ウォシャウスキー兄弟監督)

このシルバーを育てた人物として、ローレンス・ゴードンがいる。 ゴードン、1936年ミシシッピー州生まれ。
『ウォリアーズ』('79)『48時間』('82)『ストリート・オブ・ファイアー』('84)といったウォルター・ヒル監督の作品や、『フィールド・オブ・ドリームス』('89)も製作している。 『ウォリアーズ』でジョエル・シルバーの名が初クレジットされ、以後このコンビは『48時間』『ストリート・オブ・ファイアー』、『コマンドー』('85) 『プレデター』('87)『ダイハード』('88)『プレデター2』('90) まで。
つまり、シルバーが1985年に独立してからも続いたというわけだ。が、これ以後はみあたらない。
ゴードンが製作総指揮、シルバーが製作といったところだろう。

ことに、1995年『暗殺者』でその脚本家ウォシャウスキー兄弟を見いだしたシルバーは、ウォシャウスキー兄弟を監督に『マトリックス』('99)を製作、『スピードレーサー』もだった。
ちなみに、『スピードレーサー』に主演したエミール・ハーシュは、『イントゥー・ザ・ワイルド』('07)で 主人公クリストファー・マッカンドレスを演じている。 『スピードレーサー』は、日本の漫画『マッハgogo』が原作。 
シルバーは、日本の漫画では『AKIRA』がお好きだったそうで、映画化権を取得、というから、これまた楽しみです。・・?

『暗殺者』('95)は、スタローンとバンデラス、スタローンといえば、シルバーは『デモリションマン』('94)も製作してる。 1995年には『エグゼクティブ・ディシジョン』。

ゴードンは'95年には『ウォーター・ワールド』
2001年に『トゥームレイダー
今年で74歳だ。

シルバーは58歳。
まだまだ、ジョエル・シルバーは活躍してくれるだろう。


海外(ハリウッド)の映画製作者たち

以前、アラン・パーカー監督を検索した時、製作にデビッド・パットナム(A・パーカーの映画初監督作品『小さな恋のメロディ』の製作者) と共に、
その後のアラン・パーカー監督作品の製作者に、アラン・マーシャルの名をよくみかけた。
ダウンタウン物語』『ミッドナイト・エキスプレス』『フェーム』『バーディ』『エンゼル・ハート

そして、アラン・マーシャルは、マリオ・カサールと組むことが多かった。
たとえば、
アラン・マーシャルがマリオ・カサールと組んで作った映画に、ポール・バーホーベン監督の『氷の微笑』や『ショーガール』がある。

レバノン出身のマリオ・カサールは、シルベスター・スタローン主演作を何本も作っている。
ランボー』シリーズ三作ともだし、その前に『勝利への脱出』、そして『クリフハンガー』。
ターミネーター』もつくってるけど。    マリオ・カサールは、コロンビア映画とトライスター・ピクチャーで働き、1976年カロルコ・ピクチャー設立、  
 カロルコ・ピクチャーは1995年に倒産した。

こんな具合で、
映画製作者コンビ?OR子弟関係?をみてみると、
ジェリー・ブッカイマー(タッチストーン・ビクチャーズ)はドン・シンプソンと、
ジョエル・シルバーローレンス・ゴードンと という関係がうかんでくる
てな感じで。
ハリウッド系の何人かの映画製作者に注目して、調べてみたくなったわけです。

映画製作者、中村賢一

『十九歳の地図』 のスタッフに、中村賢一の名をみた。
 この名前が 私の記憶に留められるようになったのは、いつだったろう?


原田真人に関して書いてた時『ウィンディー』の製作にあり、その後に山田典吾氏について書いてたら『はだしのゲン/涙の爆発』に、また名をみつけ、
私の大好きな『この胸のときめきを』にもあったし、 そうして『十九歳の地図』だ。

「中村賢一」で検索してみると、関わった映画作品は出てくるのだけど、その人の略歴を書いてあるものがみあたらなかった。
一番最初は『はだしのゲン/涙の爆発』の製作補のようだから、現代ぷろだくしょんに聞いてみれば、どういう来歴の人だか判るかもしれない。?

その後に『十九歳の地図』('79)で、いきなり?製作に名が出る。
1981年に『夏の別れ』(監督・井上眞介)でプロデューサーをやり、
翌年、石山昭信氏の監督デビュー作となる『胸さわぎの放課後』('82)〔ここで中村賢一は企画〕がある。
石山昭信氏は現代ぷろで『もうひとつの少年期』を監督していて、私はこの作品の撮影期間に現代ぷろにいた。
1984年に『ウィンディー』(監督・原田真人)で、製作に名が出ていて、
'85年に『カポネ大いに泣く』(鈴木清順)でプロデューサー、
'86年、『まんだら屋の良太』(石山昭信)で製作、 1987年は三本の大活躍。『フリーター』(横山博人)で製作、『漂流教室』(大林宣彦)で製作総指揮、『パッセンジャー/過ぎ去りし日々』(和泉聖治)でプロデューサー、として名がある。
そして、1988年に『この胸のときめきを』(和泉聖治)でプロデューサーと、『恋はいつもアマンドピンク』(横山博人)で製作。
ここまでなんだ。

これ以後はない。

不思議な人、という感じもあり、いよいよ私の興味は深まるのであった……
(o^o^o)



製作とプロデューサーの違いがよく解ってはいないのだけれど。。
私が思うには、製作ははお金の工面のみならず、スタッフの手配人事権やキャスティング、さらには初号アップ後の上映配給まで、最初から最後まで取り仕切る人だと思う。 プロデューサーはも少しせまいのではないか?
どうかな?

映画製作者、中沢敏明

久しぶりに中澤敏明氏のお名前をみた。
http://cinefil.tokyo/_ct/17157671
この映画の企画で。

まずは。同姓同名関連で。 名の方の字は違うのだけれど、中沢としあき、というと私の妹の旦那が同じ名なのだった。
そうして、『大鹿村騒動記』の製作者の中に中沢敏明の名があった。
中沢敏明の名を記憶したことになった映画は・・『おくりびと』(08)だった、、かな。 ?

ともかく。
検索してみた、、けど。 出自はよく判らないが。いくつかのサイト(グーとかウィキペディアとか映画.コムとか)のぞいてみて、中沢敏明のキャリアに最初に出てくる映画は『帰ってきた若大将』(81)だから、東宝にいた方かも??
ついで。83.夜明けのランナー(脚本家の中岡京平の初監督映画。主演渡辺徹)、85.生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言、 87.BUSU、88.ほんの5グラム、89.ハリマオ、91.無能の人、92.喜太郎の十五少女漂流記、93.ゲンセンカン主人、94.あひるのうたがきこえてくるよ、95.119、95.白い馬、95.トイレの花子さん、2001.連弾、03.あずみ、05.NANA、05.蝉しぐれ、06.日本沈没、07.スキヤキウェスタンジャンゴ(企画)、07.カンフーくん(企画)、08.おくりびと、08.ICHI、09.山形スクリーム、10.十三人の刺客、11.デンデラ、11.一命、11.大鹿村騒動記。などなど。

こうしてながめてみると・・
まず。中岡京平、和田勉竹中直人椎名誠、と新たな才能に映画を撮らせている。 竹中直人の監督映画は全部、?・・・違った。『東京日和り』は別会社の人だった。 十五少女漂流記も!企画は喜多郎だったけど・・確か監督はテレビ業界の人だった、と思う。
富田靖子主演のBUSUはCMディレクターの市川準の初監督映画だった。 三池崇史滝田洋二郎ともくんでる。

この方の製作・プロデュースした映画って、、私の好きなのがいくつもある。
俳優としての竹中直人はちょっと・・てなとこもあるんだけど。(*^_^*)


セディック・インターナショナルという会社を設立してて?とにかく、そこの代表取締役
で。この方の映画化をするしないの基準を、お聞きしてみたい気がした。

ATG

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1105877017&owner_id=3672419

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%83%89   

日本アートシアターギルド。
1962年設立。
そもそもは、川喜多かしこの「日本アートシアター運動の会」から始まっていたとは、、知りませんでした。

当初は配給だけだった。
ATGが資金提供した最初の映画は、『人間蒸発』(1967。今村昌平監督)だった。
以後、製作資金の半分を負担する、所謂ATG方式が定着していく。
折しも、大島渚吉田喜重篠田正浩らが松竹から出て、自分たちの独立プロを設立しての映画製作に乗り出していた。
その後、1979年に、佐々木史朗がATGの二代め社長(兼任)になって、、大学映研やポルノ映画出身の監督達を採用して、日本映画を支える人材育成に寄与した。(佐々木史郎は、アルゴプロジェクトに参加してた。)
1992年、『墨東綺譚』(新藤兼人監督)を最後に、その活動を終えた。

多賀洋介、・・多賀英典と関係あり、かな??

以下、ATG映画(配給だけから)作品一覧。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%83%89%E5%85%AC%E9%96%8B%E4%BD%9C%E5%93%81%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

公開作品で。
池田敏春の「人魚伝説」 と 後藤幸一の「正午なり」もそうだった。
正午なり」は、丸山健二原作、主演は金田正一の息子の金田賢一
これでデビューだった。 その後はあまりきかないなぁ・・??

そういえば。
佐々木史朗がATGに関わる様になった『星空のマリオネット』監督の橋浦方人、これの後『海潮音』ともう一本あるが、、その後みなくなってしまっている。と思う。
青春の殺人者』のスタッフに関して書いた様に、浅尾政行とか石山昭信とか、きかなくなってしまっている監督が、けっこういる。・・
後藤幸一も。?

最近は、どぉぉなんだろぉ~~?
興業形態の変化は、時代の変化でもあるんだろうな~~・・f:id:Eigamuro:20210729070258j:plainf:id:Eigamuro:20210729070308j:plain