Eigamuroのブログ

映画は映画館で観たい。なんで? &映画や旅等に関する雑学ノート

そうして

笹本稜平の、『未踏峰』にアスペルガー症候群に関する記述があった。。

発達障害の一種。   他人とのコミュニケーションが不得手、他人の感情を理解する能力に欠けている。
・他人には自分とは違った考えがあるということが理解しにくい。 そして、他人の表情や仕草の意味を読み取れない。
・言葉はそのまま受け取ってしまう。 言葉の裏に別の意味を隠してるとか、人は笑顔で悪意を隠せるということが理解できない。 比喩やジョークを本気にとってしまう。
・たとえ世間の常識通念だろうと、理屈として納得できないことには従わない。
・どんなことにも理詰めの説明を必要とする。
・知能にはなんら問題はない。 ただ、極端な偏りがみられる。興味関心の対象にはのめり込む程だが、そうでないものには見向きもしない。
…………
その通りだった、と思う。
検索によれば、1944年(とにかく第二次世界大戦中)オーストリアアスペルガーという人が提唱したらしいが、
この名が世間に(精神医学的にも)広まっていったのは1980年代あたりからのようだ。
だから、たとえ20歳そこそこあたりの私が精神科にかかったとしても、発達障害がみられる精神疾患とみなさたかどうかは解らない。 しかるに、今から思うに、今でもやはりなんらかの精神障害があったと思いたがっている。 その方のが自分にとって都合がいい。納得していられる。
だから、客観的に(公的資格保持者の医者からみて)そうだった、かどうかは判明しない。
自分で考えて、大いに頷けるところがある、だけ。
精神分析的な本をけっこう読んだ。
小此木桂吾の『モラトリアム人間』?(中公新書だった)や、岸田秀の幻想論(『ものぐさ精神分析』)には、大いに共感した。
そうして、自分の症状?にある程度の説明がついてきて、さらに歳とってきて、自分で自分を肯定しえる様になってきた。 少なくとも、自分で自分を否定する必要はないことが解った。 六歳の頃母が死去し後妻がきて腹違いの弟が生まれ、どおも親に誉められた記憶がなく、 まったく拗ねていた。
自分の経験では、
他人の感情や表情に理解が及ばないというより、
ただ自分の好きなことにだけ目をむけていたかった。 けれども、学校を卒業して社会にでれば嫌なことだろうとやらねばならないことがあるのだが、自分の感情との折り合いをどうつけたらいいのか解らなかった。 逃げた。逃げ続けたかった。 好きなことに没頭すべきだったと思うが、ちょっとの詰まづきだけで簡単に逃げだした。 しかるに、周りに自分を肯定してくれる他者がいなかった、と思えた。

歳も歳だし(*^_^*)
この歳になっていまだアスペルガー症候群云々などというつもりなど、さらさらない。
自分のことなんかさておき、他者への手をさしのべるべき歳だ。
ただ、他人より明らかに成長が遅れていると思う。
かえって、同級生とかに羨ましがられている!!?  いや、これまた、言葉どおりに受け取ってしまってはいかんな。

とにかく。
アスペルガー症候群
今では、ちゃんと?精神的疾患とみなされているようですな。
はっきりした?OR画一的な治療法はない。
適材適所で働けるようになれば高い能力を発揮するし、コミュニケーションでも具体的な言葉できちっと説明すれば納得する。
ひとつひとつ、その場その場で学習していくしかない。

自分なりに勉強もしてきたつもりだし、それなりにいろんな体験もしてきたと思うし、 自分は、、少しでも成長してきている、と言えることを切望している。