Eigamuroのブログ

映画は映画館で観たい。なんで? &映画や旅等に関する雑学ノート

『凍』再読

f:id:Eigamuro:20210822094508j:plain沢木耕太郎の『凍』(新潮文庫本)を、また読んだ。
あらためて、沢木耕太郎の文章に感心した。

この本は、山野井泰史と妙子夫婦のギャチュンカン北壁登攀(と、そこからの生還)の物語。

山野井泰史が、どうしてギャチュンカンの壁をのぼろうと思う様になるかのところから始まり、ギャチュンカンへ至る迄の行程、北東壁を諦めて北壁にとりついて登攀、山野井泰史だけが頂上に立ち下降、そして高所(7000m以上)での五泊に及ぶビバークを経て生還、帰国入院、凍傷による手足指切断、退院、クライミングへの復帰、そうして再びギャチュンカン北壁を眺めるところで終わっている。

ギャチュンカンは、8000mに少し届かない7000m 峰で、その北壁も初登攀ではなかった、けれども、山野井泰史が挑むに足るものという、その要因を掘り起こしていく記述もさることながら、何よりも秀逸なのは、その登攀と下降の、沢木耕太郎の記述だ。
当然、山野井泰史というクライマーの凄さが浮き彫りにされている。

殊に、ヒマラヤ登山は極地法(大量物資運搬ベースキャンプ設営キャンプ地を上げて行っての頂上アタック)という登り方で始まっているが、8000㍍峰が全て初登頂されてから、少人数(or 単独)でのアルパインスタイル登頂者が現れる。
山野井泰史は、勿論(初めから)、アルパインスタイルクライマーだった。
例えば、植村直己は、その過渡期のクライマーだったと言えよう。

沢木耕太郎は登攀していない。

ギャチュンカン北壁登攀に至る迄や、その中で、山野井泰史の幼年期や父親や叔父のこととか、妙子との出会い、そして同棲から結婚、妙子のこと(生まれとか実家のこととか)、二人で住むことになった奥多摩での暮らしのこととか、それらは、沢木にとって充分守備範囲内と思う、けれども、ギャチュンカン北壁登攀の記述は、どうだろう。。!
これを書ける(実際充分のページをさいている)ということは、・・
そこの文章は、淡々としたものに終始している(勿論全部沢木耕太郎の文章なのだが)。
そこに、著者自身の存在がないかの様に。(まるでドキュメンタリー映像を見ているかの様に)。
・・なんということだろう。

そうして、全体として、起承転結があって、ちゃんと物語(の構成)になっている。
たいしたもんである。