Eigamuroのブログ

映画は映画館で観たい。なんで? &映画や旅等に関する雑学ノート

現代ぷろだくしょん

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E3%81%B7%E3%82%8D%E3%81%A0%E3%81%8F%E3%81%97%E3%82%87%E3%82%93

https://www.gendaipro.jp/company.html

現代ぷろだくしょんといえば、 『はだしのゲン』三部作、『裸の大将放浪記』『春男の翔んだ空』なんかの、 山田典吾氏が代表というイメージが強いのだけれど、 その歴史は古いのだった。

1951. 昭和26年、山村聡森雅之らが中心に発足。後に三国連太郎も参加。山田典吾、代表取締役に就任。当時山田典吾35歳。

1953.昭和28年、『村八分』製作開始。 同年『蟹工船』。脚本・監督、山村聡
1956.昭和31年、『真昼の暗黒』。脚本、橋本忍。監督、今井正
1958.昭和33年、『夜の鼓』脚本、橋本忍新藤兼人。監督、今井正
以上、製作、山田典吾

1961年、『太陽を射るもの』の後に、

1963.昭和38年、『日本海の歌』。
以降、山田典吾は監督業に。(現代ぷろのHP より。)

1972.年より、山田火砂子が現代ぷろだくしょんの映画製作に参加。
1976.昭和51年、『はだしのゲン
出演、三国連太郎左幸子
1977年、『はだしのゲン 涙の爆発』
音楽、いずみたく
出演、宮城まり子市原悦子
1978.昭和53年、『春男の翔んだ空』
音楽、いずみたく
出演、永六輔佐藤オリエ
1979.昭和54年、『茗荷村見聞記』
音楽、いずみたく
出演、長門裕之殿山泰司山本圭ケーシー高峰二木てるみ
1980.昭和55年、『はだしのゲン ヒロシマのたたかい』
音楽、平尾昌晃
出演、風吹ジュン、にしきのあきら、桜木健一
1981.昭和56年、『裸の大将放浪記 山下清物語』
出演、芦屋雁之助中村玉緒山口崇小松政夫牟田悌三
1982.昭和57年、『ユッコの贈りもの』
出演、田村亮宮本信子檀ふみさとう宗幸
以上、
製作・脚本・監督、山田典吾
プロデューサー、山田火砂子。

正確には。1972(昭和47)年、山田火砂子さんが現代ぷろだくしょんに初参加した時のスタッフ名はプロダクションマネージャー。
1974(昭和49)年『太陽の詩』と1976(昭和51)年『はだしのゲン』で、製作協力。1977年『はだしのゲン涙の爆発』で、山田火砂子さんは、(正式に?)プロデューサーとなっている。
1972年頃、山田典吾さんは、56歳くらいで山田火砂子さんと出会っていることになり、良きパートナーを得て猛進してる、感じ。

1983、昭和58年、『もうひとつの少年記』
製作、山田典吾・山田火砂子
脚本、古田求
監督、石山昭信
出演、さとう宗幸木原光知子船越栄一郎中原ひとみ高橋洋子

1984.昭和59年、『白い町ヒロシマ
製作、山田典吾・山田火砂子
脚本、新藤兼人・山田典吾
監督、山田典吾
主題歌、小椋桂
制作進行、室作猛

1985、昭和60年、『ママ、ごめんねーあっこちゃんの日記ー』
製作・脚本・監督、山田典吾
出演、江波杏子なべおさみ、熊谷真美、沢竜二、石野真子
1988.昭和63年、『死線を越えて賀川豊彦物語』
製作、山田火砂子
脚本、高田宏治・山田典吾
監督、山田典吾
出演、国広富之黒木瞳長門裕之橋本功小倉一郎

1990.平成2年、『キムの十字架』アニメ
製作、山田火砂子。監督、山田典吾。
音楽、宮下富実夫


1996.平成8年、『エンジェルがとんだ日』アニメ。山田火砂子が監督も兼任。
2004.平成16年、『石井のおとうさんありがとうー岡山孤児院・石井十次の生涯』
製作・監督、山田火砂子
脚本、青山邦夫・松井稔・山田火砂子
出演、松平健永作博美、竹下恵子、ケーシー高峰小倉一郎

山田典吾。東京(確か神田の生まれ。?)1916.5/28 ~ 1998.5/14。享年 81歳。