Eigamuroのブログ

映画は映画館で観たい。なんで? &映画や旅等に関する雑学ノート

多賀英典

原田真人の監督デビュー作品、『さらば映画の友よ・インディアンサマー』 (長い。ので、以後『さらば・・』)を検索していて、それがキティ・フィルム製作と知り、キティ・フィルムと多賀英典についていろいろ検索してみた。

関連単語。――ポリドール、ユニバーサル・ミュージック、小椋佳井上陽水相米慎二長谷川和彦限りなく透明に近いブルー、アルゴ・プロジェクト、など。

レコード会社、ポリドールの社員で音楽プロデューサーだった多賀英典が、小椋佳井上陽水の黒版(アナログレコードのこと)の製作ヒットの勢いにのり(井上陽水のLP「心もよう」という題は多賀が命名したものであることは有名)、かねてより音楽と映像の融合を目論んでいた多賀は独立、1979年キティ・フィルムを設立、映画製作にのりだした。
 この時かき集められたのが、日活出身の伊地智啓・長谷川和彦相米慎二、それにプロデューサーの山本又一郎。
その第一作が村上龍の『限りなく透明に近いブルー』(以下『ブルー』)
同年、山本又一郎は、キティ・ミュージックコーポレーションで『ベルサイユのばら』を製作した。
多賀の意向で村上龍を監督にすえた 『ブルー』と1983年の『だいじょうぶマイフレンド』は、興行的には惨敗。 (それを救ったのが、アニメ『うる星やつら』の大ヒット)

ここで、私はどうしても村上龍長谷川和彦(以後、ゴジ)を並べてみてしまうのだった。
村上龍監督作品が二本とも不発。にも関わらず、その後も村上龍は映画を監督しえたのに対して、 むしろ映画作品としては村上映画よりも数段におもしろかったと思えるものを作ったゴジが、二本の作品だけで、1979年の『太陽を盗んだ男』以後、まったく映画を作れていないというのは、かねてより私が不思議に思っていることだった。
もしも、いや、ゴジ監督映画はその他にもあるよというのであれば、ぜひ教えてください。
あの頃、村上龍とゴジが手をくんで映画を作るという企画が、進められようとしたことがあった。村上龍長谷川和彦監督映画にと、何本か脚本を書いていた。けれども、長谷川和彦の方がボツにしていた、模様。
その後も、ゴジは、連合赤軍ものの企画を映画化しようとしていた。
皮肉にも?、これに似たもの(ゴジの企画の内容が判ってないから)は、若松孝二監督が『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』(2008)を造った。


多賀英典製作の映画作品を書いておく。
1979. 3月『限りなく透明に近いブルー
 10月.太陽を盗んだ男
'80.翔んだカップル
'81.セーラー服と機関銃角川春樹事務所との共同製作) 角川春樹とのコンビ!。 画期的だったんじゃない?しかし、これ一本のみ。
'83.みゆき (監督、井筒和幸
だいじょうぶマイフレンド(主演、ピーター・フォンダ
 うる星やつらシリーズ
'86.プルシャンブルーの肖像
(監督、多賀英典。主演、玉置浩二。『Chekers Song for U.S.A.』との併映)

1979年 5月公開の 『さらば・・』のスタッフに、多賀英典の名はなかった。

映画製作、7年間、実写映画7本だった。

音楽で稼いだ金を湯水のごとく映画製作に注ぎ込んだ多賀の強引さが、後のキティの凋落のきっかけになったと云われている。

1989年、シネマハウト、メリエス、プルミエ・インターナショナル、ディレクターズ・カンパニー、ニューセンチュリー・プロデューサーズ、と共に、アルゴ・プロジェクトの立ち上げに参加。 配給にも乗り出した。

1992年 4月に起きた賭博事件により代表取締り役辞任。 外資のユニバーサル・ミュージックに、ポリドール、マーキュリーと共に買収され、現在の日本の音楽市場にキティの名はどこにもない。
'08年 5月、通信会社の(株)YOZANが、保有していたキティ・ライツ&エンターテイメント(キティ・フィルムの議決権をもつ会社)の株式を多賀に譲渡し、 多賀が再びキティの経営に戻ることになった。
―――と、あった。

さてさて。
角川春樹多賀英典
共通してるのは強烈な個性か。?
何事か新しいことを始める人というのは、それなりに個性的であり、であるが故に敵?も作りがちだったりする。 敵というか、その人に合う人と合わない人とがはっきりしていると思う。 そして、二人ともやはりトラブって自らが設立した場を去っている。
基盤のフィールドは音楽界と出版界 と違っていたけれど、その世界の中だけに留まっていなかった。
多賀英典は、けれどもやはり音楽界の人間なのかもという印象あり。 歴代LPレコード売り上げベスト5の内三つも彼が手掛けていることと、角川春樹の映画制作におけるカリスマ性のこととを思えば、映画業界における角川春樹には並べられない感じがする。

角川春樹氏も、出所してきてから、再び活発に動いているから、(出版界ではハルキ文庫、映画製作は『男たちの大和』) 多賀英典氏にも、また大いに活躍してもらいたいと思う。