Eigamuroのブログ

映画は映画館で観たい。なんで? &映画や旅等に関する雑学ノート

ヌーベルバーグ。1

2008/0
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=803656190&owner_id=3672419

Nouvelle Vague 、
仏語で「新しい波」。

1950年代に始まったフランスの映画運動。

広義と狭義の定義があるそうだ。

何が新しかったかといえば。
まず。
『広義においては、 撮影所(映画製作会社)における助監督などの経験なしにデビューした若い監督達による、ロケ撮影中心、同時録音、即興演出、等の手法的な共通性のある、一連の作品、作家をさす』

今でこそ全然めずらしくもなくなったけど、こういう映画の作り方はけっこう衝撃的だったのだ、と思う。 それに。

『狭義には、
映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」の主宰者であったアンドレ・バザンの薫陶をうけ、同誌で映画批評家として活躍していた若い作家達――カイエ派、もしくは右岸派――、及びその作品をさす。
ゴダールトリュフォークロード・シャブロルエリック・ロメールジャック・リベット、アレクサンドル・アストリュック、ジャン・ドゥシェ、リュック・ムレ、ピエール・カスト
また、モンパルナス界隈で集まっていた、 アラン・レネジャック・ドゥミ、アニエス・ウ゛ァルダ、クリス・マルケルジャン・ルーシュ等の、主にドキュメンタリーを出自とする面々のことを、左岸派と呼び、 一般的にはこの両派を合わせて総称することが多い。
が、実際には、バザンの薫陶はいささか怪しい。。』以下、その怪しい理由をあげているのだが。略す。

こうしてみると、一口にヌーベルバーグといっても、その意味するところは流動的な面があるわけだ。
つまり、広義に従えば、そういう作品はすべてヌーベルバーグ映画ってことになる。
日本では、松竹を出ていって作られた大島渚篠田正浩吉田喜重たちの映画は、松竹ヌーベルバーグと呼ばれた。
しかし、通常、いや私はやはり狭義の定義で、ヌーベルバーグを理解していた。

ある意味では、映画は二度、フランスで誕生していることになる、そんな気がした。

追記

「仏伊合作映画」で検索してみたことがあるのだが。。
『昼顔』(’67)や『仁義』(’70)、
『ベニスに死す』(’71)や
太陽がいっぱい』(1960)
『去年マリエンバードで』(’61)や『ニューシネマパラダイス』(’89)もそうだった。その他にもけっこうある。

トリュフオーの『大人は判ってくれない』が1959年、ゴダールの『勝手にしやがれ』が1960年。カンヌ映画祭粉砕事件が1967年。
こうした年代を眺めてみると、1960年の『太陽がいっぱい』と1961年の『去年マリエンバードで』が、なんとも異色作に思えてきてしまう。。?!
あの頃のフランス映画界にヌーベルバーグ(運動)映画が席巻していたわけではなさそうだったんだ、と。


ロベルト・ロッセリーニが、フランスでのヌーベル・ウ゛ァーグの父といわれていた、らしい。
「R・ロッセリーニがヌーベル・ウ゛ァーグの父といわれ」の、謂われについて。
フランソワ・トリュフォーは、子供の世界を描いた『大人は判ってくれない』('59)は、『ドイツ零年』('48)に負うところが大きいと明言している。】
そして、【ジャン・リュック・ゴダールは、『イタリア旅行』('60)をみて、一台の車と男と女がいれば映画ができることを学び、『勝手にしやがれ』('60)を撮った、と証言している。】
以上、今は情報元不明だが。(つまり、どこで「明言」したり「証言」したりしてるのか?良く解らない。)
あの、『勝手にしやがれ』が、R・ロッセリーニの『イタリア旅行』からインスパイアされていたとは!