Eigamuroのブログ

映画は映画館で観たい。なんで? &映画や旅等に関する雑学ノート

『終戦のエンペラー』

f:id:Eigamuro:20210818105809j:plain終戦のエンペラー』(2012)を再見して。チョット変な感覚を覚えた。
『あ~~~造っているな~。』と。そして、出演者たちに実在感を感じた。現実に存在する人が俳優として演じているのだと確かに思えた。

私は、幼少時の体験によって現実から逃げて内向した。
しかるに、映画を観て、映画という造りものの現実(殊にスタッフ&キャストたちの存在)に実感が持てなかった。映画が造られてから映画館で上映されるまでの配給過程も解っていなかったから、スクリーンに上映される映画というものが不思議だった。
だいぶ歳とってきて、今ではもうそういう感覚は殆どなくなっているけれど。どうして映画館で映画を観たくなってしまうのだろう?という思いは、今もある。
ともかく。
そういった不思議な感覚が、この映画のDVDをみた際には、殆どなくて、まるでカメラの隣に立っていたかの様な感覚を覚えた。
これは私にとって、驚くことなのだった。

この映画は、戦後間もなくの東京、占領軍司令官マッカーサーが日本にやって来るところから始まり、天皇の処遇問題(天皇に戦争責任はあったかどうか?)の調査を、マッカーサーから命令された士官を中心とした、アメリカ映画。なのだけれど、製作に、奈良橋陽子や野村佑人がいるように、完全にアメリカ側からの視点によってはいない、と思う。
しかるに、この映画はフィクション(物語)で、史実に忠実ではない。
例えば、その調査にあたるボナーフェラーズは、日本ではなくて中東専門の情報将校だったとか、彼が東條や近衛や木戸らに会っていたという事実はないとか。。その他にも色々あるが、殊に、この映画で日本人女性との恋愛が描かれるが、その日本人女性は架空の人物、だそうだ。

それで、戦後間もなくの東京が舞台。
東京は、勿論空襲で焼け野原。そこを歩くボナーのシーン。これが、いかにも。。!と感じたところ。決してチャチイというのではない。良く造られている。
けれども、私には映画用に造り出されたものとの感覚が湧いたのだ。
それは、それなりに、ツッコミどころでもあるんだけど。
例えば、戦後間もなくの東京の飲み屋にしては立派すぎなんじゃない??とか、
ボナーフェラーズが恋人の実家へ行って彼女の父親に会うところ、彼女の父親は士官クラスの軍人、彼女(とその母親)は死んでいて、なのにその父親(だけ)は生き残っているんだ~(◎-◎;)、とか。
そういうことは問題じゃないのだ。


だから(この映画はフィクション)、この映画は、日本の占領政策において、天皇処遇問題をどう処理したか、という物語としてみるべきと思う。及び、その問題を担当したアメリカ人男性の、日本人女性との恋愛にまつわる物語。
そういうことにおいて、この映画は、まことに素晴らしい映画だった、と思う。

記録と記憶。

私は記録したがる方だった。
写真、日記、記念品、切符、チラシ、テープ等など。なんでも残しておきたくなった。
なぜなら、自分の存在感が素直に信じられなかったから。
そういった記録ものを残しておいてみることで、自分はあの時確かに存在していたと自己確認しようとした、 自己確認したかった。
けれどもそれは、そういったものをとっておける状況があるからできたことであって、実家がなくなってしまった私には許されなくなって、佐久を出た時ずいぶんと処理した。
以来あまりこだわらなくなってはいる、と思う。
できることなら、家家族日本すべてから離れてしまいたかった、。外国移住を計画したんだが、・・見事に?失敗した。

とにかく、今はその日その時を生きていく、ある意味なげやりおまかせ、(まぁどうせおまかせなら仏さんにおまかせしたいが) そんな感じで、記録にこだわりらない。。

さて、記憶。
記憶は日々薄れていく。
時間というフィルターを通して、事実は自分の中で変わっていく。それは、自分にとっての都合にいいものになっている、と思う。

2001年、アリゾナ州ビッグマウンテンのナバホのある家族を訪ねた時、記憶はあてにならんなと実感したものだ。
九年ぶりの訪問だった。
1992年の時は、その年にアメリカであったセイクレッドランの参加者の日本人の若者と一緒で、インディアンのおじさんの車に乗っけてもらって、行った。私は彼としゃべっていて、辺りに注意を向けていなかった。だから、距離感が欠けていた
そんなあいまいな記憶だけをたよりに、あの、Big Mt.へ、
一人で行ったのだ。

給水塔のあるところまでは問題なかったけど、それからが判らなくなった。陽がくれてきていたし、ほんとにこの道でいいのか不安になって、もう戻ろうかと思っていた時、向こうからやってくる車があって、訊ねることができて、まだ先と判ったからよかったけれど、そうでなかったら、ひき返していただろう。
道はあってたけれど、若者としゃべっていた私には、時間の感覚がなかったわけだ。
記憶とはそんなものだろう。
もともと、記録ー私の頭の中にも、あるいはメモもとってなかったしーしておかなかったわけだから、判らなくて当然だ。
けれど、記録してたらよかったかというと、疑問だと思う。
そしたら、その時私はかの若者との、今でも有意義だったと思っているおしゃべりをすることはなかったろうから。

記録しておかないと、正確さ(場所とか時間とか方向とか)は著しく落ちる、と思うが、
かといって、
記録に重きをおきすぎては、なんだかつまらない気がする。
ーものより思い出ー・・?

『物語の役割』

小川洋子、著『物語の役割』、筑摩書房ちくまプリマー新書、より。

帯には【人間は、なぜ物語を必要とするのか?ーーその秘密を作家が解き明かす】
裏表紙に。【私たちは日々の受け入れられない現実を、自分の心の形に合うように転換している。誰もが作り出し、必要としている物語を、言葉で表現していくことの喜びを伝える。】 三部構成。
第一部、物語の役割
第二部、物語が生まれる現場
第三部、物語と私

【まえがき】より。 この本は本として出版するために書かれたものではなく、小川洋子の講演集です。 筑摩書房からの提案を作者が受けた時、はじめは尻込みしたそうだ。
最終的に出版を決めた理由はただ一つ、「本書を手にとった方が、改めて物語の魅力を確認し、物語の役割に目覚め、ああ、本を読むことはなんと素晴らしいことであろうか、と思ってくれたらとの願いがあったから」。まえがきには2006年6月11日、とある。

第一部は東京の三鷹市芸術文化センターでの講演。
まず藤原正彦先生との出会により、数学者に対するイメージが変わったことから、数(数学)に予想もしなかった不思議・驚きが隠れていることを知り、これは小説の題材になると直感、(数の世界が才能豊かな数学者たちがコウベを垂れる程に美しいものなら、その美しさを言葉で表現してみたい)、
そこから始まって数学者を観察するような関係の家政婦を登場させようと思い付き、友愛数を知ってこの友愛数を眺めているうちに、220は二月二十日ということにして家政婦の誕生日にしよう、284はその数学者が論文を書いて賞を貰った時の記念品の腕時計に刻まれている番号にしよう、そして、その数学者が食卓の上で紙に鉛筆でその数字を書いて『君の誕生日と僕の腕時計に刻まれている数字は友愛の契りを結んだ特別な数なんだよ』と家政婦に教える場面が浮かんだ、そうすると、もう自然にその人の声の感じとか立ち振る舞いとか、二人の関係がみえてきた、そこから一気に物語の向かうべき方向が明らかになって小説じたいが動きだし、『博士の愛した数式』が生まれ、
そして、物語は現実日常生活にいくらでもあると語る。
あるいは、現実を記憶していく時、ありのまま記憶するのではなく、自分にとって嬉しいことは膨らませ悲しいことは小さくして、現実を物語にして自分の中に積み重ねていく、として誰もが物語を作り出しいるとし、柳田邦男が自殺した自分の次男のことを書いた本や日航機墜落事件で息子を一人で乗せてしまって亡くした母親のことやホロコースト文学などを紹介して、人間にしかできない心の働き、物語を獲得するための苦悩、人間が作り出す物語の尊さ、に触れ、
第一部のラストに、作家は自分が全能の神になって登場人物を操って小説を書いているのではなく、自分以外の何かが働いている、それは数学者がいろんな数字にこめられた秘密を探しだすのと同じように、作家も現実の中にあるけれども言葉にされないために気付かれないでいる物語を見つけだして、書いていく、自分が考え付いたものというわけでなく、実はすでにそこにあったのだと謙虚な気持ちになった時、物語が舞い降りてくる、と。

第二部は、京都造形芸術大学で。
芸術活動に関わっている学生に向けて喋ったもので、創作現場に即した具体的な内容。

第三部は芦屋市のルナ・ホールにて。
自分の子供時代の読書体験を通して、物語と自分との関わりについて考えたこと。
記憶に残る最初の本との出会いとして、幼稚園の面接で初めて教室に入った時、そこにたくさんの絵本があって驚いた、ことから書いてある。
小学生時。体が小さく動作も鈍かった著者は、制服を着替える際ボタンをつけるのにもたついていて、(それだけじゃなくて、給食を食べるのも算数の問題を解くのも他の皆より遅かった。愚図な自分が嫌だった)、ある時、ブラウスのボタンを付けながら一つの物語を作った。ボタンとボタンホールは仲良しでいつも二人で一つ、ところが、ある日糸が切れてボタンが外れて転がっていってしまった、ボタンホールは一人になって嘆き悲しむ、一方ボタンはベッドの下やタンスの裏を転がっていろんな冒険をする、やがて母がボタンを発見してまたブラウスに縫い付けてくれた、仲良しの二人は無事再会しボタンは自分の冒険をボタンホールに話してあげました、めでたし・・作者はボタンをはめるたびこのお話を思い、ボタンを上手くはめられないのはボタンが冒険に出ているからで自分のせいじゃないと言訳できて、愚図な自分を惨めに感じなくて済むようになった、、と。
『ファーブル昆虫記』と『トムは真夜中の庭で』の二つをあげて、自分は世界の中の一部にすぎないとの思いと、 ぼぉ~として夕陽を眺める、そんな純粋な感動は自分だけに授けられた宝物との思いの、矛盾しながら共存する思いを語り、
そして、小説を書くことの意味・決意として、次のようにこの本を結んでいる。 作者の本の外国語訳を仲介してくれているエージェントから送られてきた『博士の愛した数式』のイスラエル版の契約書にそえられていた一文【同じ本で育った人たちは共通の思いを分かち合う】 (この契約は本来もっと早くに済んでいるはずだったが、ヒズボライスラエル兵士二人を拉致したことに端を発したイスラエルレバノン侵攻のために遅れていた)、と語った後、
【民族も言葉も年代も性別も違う人間がどこかで出会った時、お互いの心を近付ける一つのすべは、どんな本を読んで育ったかを確かめることかもしれない。いつかそういう場面で私の書いた小説を挙げてくれたら、作家としてこんなに大きな幸せはありません。自分が死んだ後に自分の書いた小説が誰かに読まれている場面を想像するのが、私の喜びです。そういう場面を想像していると死ぬ怖さを忘れられます。
だから、今日も私は、小説を書くのです。】

感覚(体験)、記憶

体験したことが、すべからく、その人の心身に影響を及ぼす、とは限らない、と思う。

同じ時空間にいて、同じ体験を共有した者どうしであってもお互いの感覚記憶が同じにはならない様に、その人自身がどの様な状況でどの様なものを見て感じたかで、その人の記憶が形成される。

そもそも、感覚(体験)した記憶は、その人のいい様に改変される、と思う。
その人の都合のいい様に。
過酷で否定したいと思った体験は、なかったことにしようとしたり、自分の都合のいい様に変えようとする。あるいは、自分にとって覚えていたいと思うところだけをとっておいて後は忘れてしまう。
少なくとも、私はそうだ。
人は、自分にとって心地良いものを求めるのだ。それをとっておく。それ以外は不要として捨てる(or消去)。そういう取捨選択をしている。
だから、同じ体験をした者どうしで過去を話した場合、自分にとって嫌なことが出てくると不快になるのだ。

記憶
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%98%E6%86%B6

ここでの「記憶の過程」。
感覚、認識があって、それが記憶され残る。
しかるに、それから更に、時間経過によって記憶はふるいにかけらていく。長期的記憶は、すべからく自分にとって(都合いい)記憶になっていく、と思う。


2011:11/06
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1793098168&owner_id=3672419

さて。
映画。
映像受像体験は、どうだろう?

あるいは、物語。
私たちは、何故、物語を必要としてしまうのだろうか?(まったく必要としない人もいるだろうけれど)

『デジャヴ』(2006)再見

製作、ジェリー・ブラッカイマー
監督、トニー・スコット
出演、デンゼル・ワシントン、ウ゛ァル・キルマー

映画『デジャウ゛』(06) をみた、のだけれど・・・ 。。再見したけど、やっぱり解らない。

スッキリしないわけは、、いくつかあるけど、
ひとつにはタイムトラベルものに欠かせない?装置がでてくるが、この仕組みがよく解らん。。
それと、トニー・スコット監督映像。つまりテンポ早い。&カーチェイスシーンが??
ジェリーブラッカイマー&トニースコット、コンビだからと解っちゃいるけど、やたらな?アクションシーンはいらない、と思う。『デジャヴ』というタイトル映画にしたなら、そこに修練されるストーリー展開に集中して欲しい。つまりは、もっと解りやすくして欲しかった。

あの装置まではよしとしよう。
その後のカーチェイスでのゴーグル設定は?けっこう無理がある。
冒頭の方で、ゴーグルかぶっている人出てくる雨のシーンが??。そもそもいきなり雨、なんで?電話着信音なるところ、あそこは誰なんだ?
メモが書かれた紙の転送も良く解らないが、人間までなんでできちゃうのだ?
冒頭での爆発シーンでは、車内を覗くのが男の人だけど、終盤の方ではその男の人はどこにもいなくて、あの女性になってて、・・爆発して海に投げ出された車から女性だけ助かってなんで男性の方は助からないの?
パラレルワールド(過去を変えたらそこからまた別の時間軸で進む)というなら、それは1つくらいにしといて欲しかった。とうてい1つとは思えないパラレルワールドを組み合わせて展開しているから、話しがややこしくなってしまっているのだ、と思う。

とにかく。
まったく。焦点がぼやけた、解りにくい、変な映画。それを、カーチェイスシーンとか爆破シーンとかで誤魔化してる、と思った。

2013/05/18
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1902262675&owner_id=3672419

f:id:Eigamuro:20210816102941j:plain

映画24区

『映画24区』という映画会社を知った。

きっかけは、池田エライザという人が初映画監督したという映画情報を目にしたからだ。。『夏、至るところ』というその映画を製作したのが映画24区という会社だった。その映画情報にどうして目をとめたのか?は、もう思い出せない
ともかく。
映画24区という会社。
。。?なにこれ?って感じで、そこをタップ。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A0%E7%94%BB24%E5%8C%BA
。。!!へ~~~~~(○_○)!!だった。

(株)シネカノンは、2010年1月に経営破綻していて、(株)映画24区社長の三谷一夫は、そのシネカノンを再建させた人、となっているが、実際はシネカノンを再建したというわけではない。はず。
(株)映画24区は2009年設立、社長の三谷一夫は、2008年にシネカノンの経営に参画していて、その前の東京三菱銀行にいた時からエンタメ系企業支援をしていた。。おそらく、2009年の頃からシネカノンはたちいかなくなっていて、その際、シネカノンは整理&別会社設立となったのだろうと推測する。

(株)シネカノンを設立推進した李ボンウは、2011年4月に新会社を設立して、新たに活動している。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E9%B3%B3%E5%AE%87
シネカノン経営破綻の翌年。。!
2010年のその年にも公開前映画が一本ある。
それで、最近の活動として『あの日のオルガン』(2018)を製作総指揮していた。
その後、
李ボンウと三谷一夫との接点は、今のところ見当たらない。

『あの日のオルガン』の監督は平沼恵美子。
松竹大船撮影所の映画人養成所「鎌倉映画塾」の第一期生として入塾、松竹で山田洋次組スタッフとして活動してきた方の、監督二作め。
この映画の制作会社は「ブースタープロジェクト」、代表社長は中林千賀子。
この中林千賀子という人も、なかなか凄い!!
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9E%97%E5%8D%83%E8%B3%80%E5%AD%90
『あの日のオルガン』のスタッフに中林千賀子の名前はなかったが、製作に三宅はるえ、この人はブースタープロジェクトの所属プロデューサー。

李ボンウは2014年9月公開の『インザヒーロー』という映画で、企画&エグゼクティブプロデューサーをしていて、脚本にも名前がある。。。?!
李ボンウとブースタープロジェクトの繋がりは、この映画が初めてと思われる。
けれども、李ボンウの企画でブースタープロジェクトが映画製作することになった詳しい経緯は、解らない。
『インザヒーロー』は、アクションヒーローやドラマなどで、ヒーローのスーツや怪獣の着ぐるみを着用してスタントをするスーツアクターに焦点を当てた映画で、東映アクションクラブ出身でスーツアクター経験者の唐沢寿明が主演、だそうだ。

三谷一夫、李ボンウ、中林千賀子、等々。。!!
なかなか面白かった。

シネカノン

の設立代表者、李鳳宇、という人は、1960年京都市生まれ、 東京の朝鮮大学校卒業後フランスのソルボンヌ大学に留学(何を専攻していたかは不明)、帰国後、徳間ジャパンにて映画プロデューサーの道を歩みだしている。

なお、在日韓国人で、朝鮮籍から変更とあった。

さて。
シネカノン・ファンド。
これ、リ・ボンウが初めてやりだしたことなんじゃないかな。?たぶん。
少なくとも日本では。  他国での映画製作であるかどうかは、今は知らない。
このアイデア、彼はいったいどこから生み出してきたのか、関心あるところだが、 シネマ信託、一見まことによさげに思えるけれども、これがため、シネカノンの「倒産」?は早められてしまったのではないか、という気がしてしまった。
10年以上映画製作や配給でやってきていたシネカノンが、 シネマ信託を始めてからたった三年程で、47億円以上の負債、というのは、ちょっとひどすぎるだろう。・・!?

株式会社とか株式市場とか投資とか、多額の資金を集めるための魔術的な方法は、 それはそれで価値があるのかもしれないが、
・・私にはよく解らない。

最近は、商事会社(住友商事とか)やテレビ局会社とか広告代理店とかからなる、映画製作委員会方式の映画製作が多いが、
これで、ますます映画作品というものがギャンブル的投資対象との印象ができてしまった感がある。

ミラマックス(確かウォルト・ディズニー・カンパニー傘下。インディペンデント映画の配給が主だった) も閉鎖されちゃったし、
なんだか、どうも、
いい感じがしない。